なぜ職場に「女性のヌードポスター」を貼ってはいけないのか…? 大学教授が教える「納得の理由」〉から続く

宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターや、あいちトリエンナーレで展示された昭和天皇の写真が燃える表現……。日本には表現の自由が保障されているにもかかわらず、こうした表現物においては規制に関する議論が起きるのはなぜか?

 慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授である津田正太郎さんの新刊『ネットはなぜいつも揉めているのか』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

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「公共の場所」とはいかなる場所か

 アニメ表現に対して批判的な立場からしばしば提起されるのは、「私たちは表現規制ではなくゾーニングを求めている」という主張です。すなわち、閉ざされたところで性表現を楽しむのは全く問題ないが、それを公共の場所に掲示するのはやめてほしいというのです。

 たとえば、2019年10月には『宇崎ちゃんは遊びたい!』という漫画のポスターをめぐって論争が起きています。

 来日中の米国人によるツイートが発端となったこの論争では、「宇崎ちゃん」の胸の大きさを強調するアングルのポスターが新宿駅にある日本赤十字社の献血ルームに貼られていたことが問題とされました。この発端となったツイートの一部を抜粋、翻訳しておきましょう。

 私は赤十字の仕事を称賛しているが、だからこそ性を過度に強調する宇崎ちゃんを使ったキャンペーンを日本赤十字社が行っているのにがっかりしている。この手のもののための時間と場所は別にあるんだ。はっきりさせておきたいのは、私はあなた方のこうたフェチに反対しているわけじゃないということだ。あらゆる種類のエロティックな素材には、それに適した場所がある。(…)残念なのは、私がこの広告を見つけたのが、家族と一緒に昼食をとるために新宿駅を歩いている途中だったということだ。

 このツイートでも、表現そのものが問題視されているというより、それが駅という公共の場所に貼られていたことが批判されているのは明らかでしょう。それでは、そもそも公共の場所とはどのような場所なのでしょうか。

 政治学者の齋藤純一は、「公共性」には(1)国家に関する公的なこと(official)、(2)特定の誰かではなく、全ての人びとに共通すること(common)、(3)誰に対しても開かれていること(open)という三つの意味があると述べています。齋藤はこの1、2、3がそれぞれ対立する関係にあると指摘していますが、ここで特に問題となるのは2と3のあいだの矛盾です。

 まず、2の意味での公共性を重視するのであれば、現実的には万人にとっての利益をみつけるのが難しい以上、なるべく多くの人びとにとっての利益の実現を目指すことになります。

公共の福祉」や「公益」などがこの意味での公共性の使用例で、少数の人びとにとっては嬉しい表現であっても、多数にとっては不安または不快だという場合には、それを避けるべきだという結論になるでしょう。ここからわかるように、この意味での公共性は、しばしば少数者の権利を制限したり、個性を押しつぶす結果をもたらします。

 他方、3の意味での公共性では、誰もがアクセスできることが重視されます。たとえば、一般の公園は誰でも入れる場所なので、この意味での公共性を体現する空間だと言うことができます。つまり、そこに誰が、何がやってきても排除してはならないということです。したがって、この意味での公共性を重視するなら、たとえ多くの人びとにとって不快な表現であろうとも、それを排除するのはまかりならんということになるでしょう。

 ただし、その不快さが度を過ぎたものである場合、3の意味での公共性がむしろ排除を引き起こす可能性にも注意しなくてはなりません。極端な仮定をすれば、見るだけで体に痒みを感じるようなポスターによって埋め尽くされるような状況になると、多くの人にとってその場所はきわめて入りにくい空間になってしまいます。

 いずれにせよ重要なのは、この2と3の意味での公共性のバランスをいかにとるのかということであり、2もしくは3のいずれかをどうやって徹底するのかということではありません。上述のように、2だけを突き詰めると公共性は息苦しくなりますし、3だけを追求しても実質的な排除を引き起こしかねません。

 さらに言えば、公共の場所といっても、その公共性の度合いにはさまざまな違いがあります。たとえば、誰もが通ることのできる、あるいは通らなければならない公道や駅のような場所と、人びとが特定の意志をもって集う美術館のような場所、もしくは表現への接触を主目的としないオフィスのような場所では、求められる2と3のバランスは変わってきます。

反対意見を突っぱねた美術館

 判断の難しい事例を一つ挙げると、2006年にベルギーシャルルロワにある写真美術館が、日本の写真家である荒木経惟の展覧会を開催したことがあります。この展覧会にさいして、美術館の壁面には彼の作品である女性の裸体写真が掲げられました。

 しかし、この掲示に対して地元の住民から撤去を求める署名活動が起きたほか、掲示に向かって火炎瓶を投げつける者が出る騒ぎになってしまいました。こうした動きに対して、美術館側は「批判する者は中に入らなければよい」と突っぱねたといいます。

 2019年にあいちトリエンナーレで行われた「表現の不自由展」では、昭和天皇の写真が燃える表現が展示されたほか、元慰安婦の少女像が設置されていたことから、脅迫や暴力的な抗議が相次ぎました。それと同じく、火炎瓶を投げつけるような暴力的な抗議行動は論外と言わざるをえません。

 しかし、あいちトリエンナーレと比べてシャルルロワの事例が難しいのは、問題とされたのが美術館のなかの展示ではなく、外に掲示された写真だったということです。この美術館は少し奥まったところにあるとはいえ、公道に面しており、そこからみえるところに女性の裸体写真が掲げられたわけです。

 ただし、この事例にしても公道に面しているから裸体写真は掲示すべきではないと機械的に判断できるわけではありません。そこで問題になるのは人びとの「感性」であり、大部分の人が「芸術なのだから構わない」と判断するのであれば、上述の2と3のバランスはとれているということになるでしょう。

 さらには、芸術であるか否かにかかわらず、公共の場において性的なものが忌避されること自体がおかしいという見方も可能です。法学者の白田秀彰によれば、西洋において性的なものが忌避されるようになったのはキリスト教の影響が大きく、それが近代に入ってから世俗的な社会のルールにまで入り込むようになった。明治維新以降、近代化を急ぐ日本社会にもそうした価値観が取り入れられ、性におおらかだったそれ以前の庶民の文化は消失していく。確かに江戸時代にも性的な出版物が禁止されたことはあったものの、それはあくまで性的なものと遊びが結びつき、贅沢さへの誘惑につながるとみなされた限りであった。つまり、性表現そのものが禁忌だったわけではなかったというのです。

 したがって、日本社会の性規範が江戸時代以前のそれに戻っていくのであれば、公共の場所であろうとも露骨な性描写の掲示が受け入れられる可能性は高くなるはずです。しかし、現時点において性表現を不安や不快に思う感性をもつ人びとが多く存在するのであれば、公道や駅での掲示にはそれなりの配慮が求められることになるでしょう。

「表現の自由」問題がこじれる理由

 他方、美術館内部のような場所の場合には、空間的に閉ざされているがゆえに開かれた表現の場として機能すべきであり、3の意味での公共性がより重視されるべきだと考えられます。ただし、訪問者が作品を撮影することを許可している美術館も多く、その写真がソーシャルメディアで流通することで、作品が置かれた文脈が変わってしまう可能性にも注意が必要でしょう。

 また、オフィスのような場所では、そこで働く人にとっての心理的安全がより重要になるはずです。たとえば、会社の経営者が、特定の民族を攻撃する文書を社内で配布するというのは、その民族をルーツとする従業員にとっては耐えがたい苦痛をもたらしますし、「表現の自由」としては認められないでしょう。

 感性と言うと、要するに「お気持ち」なのだから無視して構わないと考える人もいるかもしれません。けれども、人間の社会生活が「お気持ち」を無視して成り立つとは到底考えられません。そうした感性は時代や文化によっても異なり、個人間での違いも大きいため、ここまでは大丈夫で、ここから先はアウトだという固定的な境界線を引くのは不可能です。言い換えるとそれは、法律論だけでは解決できない問題なのです。そのことが、終わることのない論争を生じさせる要因にもなっていると考えられます。

(津田 正太郎/Webオリジナル(外部転載))

なぜ表現にまつわる問題は紛糾するのか…。写真はイメージ ©getty


(出典 news.nicovideo.jp)


(出典 www.flickr.com)


この問題に関しては、表現の自由や芸術表現の重要性など、異なる価値観や権利が衝突する場合があるため、単純に排除すべきかどうかを決める前に、社会的な影響や背景について考慮する必要があります。

<このニュースへのネットの反応>

乳房、子宮と卵巣を全摘した人だけが噛みつきなさい。





着衣*で騒いでたら、素で大きいのに悩んでる女性に失礼じゃないか?あと愛知トリエンナーレは表現の自由以前の話


そういうことならイケメン・高身長・マッチョなんかも排除だねw


そのバランスがそこそこ保たれてる状態を破壊しにきてるのが左翼連中じゃん。表現規制は基本的にまかりならん、で通すべきターンが今は来てる。破壊者におもねるな


この前、イオンに行ったら峰不二子の下着姿がそこら中に表示されてて(下着広告で使ってるらしい)こっちの方がよっぽどお子様に悪いのではとは思ったね。


結局憂さ晴らしの的探してぶっ叩いてるだけの暴徒だ。話など通じるわけもない


胸の大きな女性自体の社会進出も反対したらどう? ファミマのお母さん食堂を無くせだの、コンプレックスを転嫁するヤツが多いこと多いこと


表現の自由は自分達にしか認めないって人達じゃん


はい差別発言! 多様性って言葉はどこいった? 言論統制って言葉の意味知ってる? 法に反しない表現の自由を妨げるのもその内に入ってんだぞ? これだからクソツイフェミは・・・


でも、アニメキャラ系で田舎を復興させたい者としては本当にフェミニストは邪魔以外の何物でもでもないんだよな。フェミニスト共が田舎を復興してくれるわけでもないのに邪魔すんな。じじばばとしてはこういうので喜んでくれる若者は可愛いもんだねーっと暖かい目で見てんだよ。


胸の大きな女性は外も歩いてはいけないとおっしゃる?いわゆる差別とやらでは?


芸術性の高い作品を美術館で展示するのは正当な行為だから猥褻物陳列罪の違法性を阻却する、と考えるべきであって、芸術性が高いから猥褻ではないという主張は話が飛んでるやん。公序良俗とか社会通念が絡むと線引き難しくなるけど、お気持ちは理屈でやり込めようとするよりお気持ちで対話した方がカド立たんでしょ。


この国の象徴の写真燃やして表現の自由とほざくくらい日本が嫌いなら出てけ、となるのが当然の成り行きだというのになんでこいつらは嫌いな国にいつまでもしがみついてるんだろう


絵がダメなら実物はもっとダメじゃね?


胸の大きさ云々言う割にはワンピースのナミやロビンでは炎上したって話は聞かんね。


こういう自己中の意見は聞き入れないのが吉かと思います。


NHKでTバックだけの裸の男が大股広げてるのに放置なんだから、公共のポスターが*ビキニ女性でも良い。


>>さく>>胸の大きな女性自体の社会進出も反対したらどう?それはもうやった念の為言っておくが下着や水着じゃない普通に服着た女でな結局の所*と*と暇人の憂さ晴らしなんよ、現代におけるフェミニズムは


侵略するなら内外の挟撃が有効。日本を侵略したいから内側で破壊工作なんだろうな。


宇崎よりもグロ板でなのはやフェイトのグロ画像ばっか描いてた作者の長瀞の方をなんとかしてくれ。


愛知の奴は燃やす画像含め日本やアメリカに対するネガキャンを公金使ってやろうとしてたから問題になったんじゃね? ぶっちゃけ私費でやってたなら鼻つまみこそされ問題にはならなかっただろう


ぶっちゃけ、まな板だけの方がよっぽど女性にかわいそうなんですが


胸の小さい人って胸が大きい人に当たり強いことあるけど、キャラクターにまでそういう事言い始めてるの流石に惨めすぎないか。胸が大きい=*ってのも頭が悪い。勝手に他人(キャラ)を淫猥物呼ばわりは止せ。


しかしその最たる中韓ソシャゲにはなぜかダンマリの活動家


あのさ、天皇陛下ってのは『国の象徴』なんだわ。象徴って言葉の意味知ってる? ほとんどの国に「国旗損壊罪」って罪があるように、国の尊厳を脅*行為ってのは、テロやクーデターと同列に捉えられるんだわ。 なおかつそれに国の補助金が出てたとか、問題以外なにものでもないだろ?


>元慰安婦の少女像が設置されていたことから     米軍ジープに轢かれた少女像


>2019年にあいちトリエンナーレで行われた「表現の不自由展」では、    あれを罰する法律が日本にないと言うだけで、立派な国辱行為ですよ。


前編も読んで、この筆者はまともだと思う。だが不安に感じる人より多くのサイレントマジョリティが許容していた訳で、排除するなら難しかろうが根拠を示せって散々言われてるんだよなぁ。後、愛トリは(人によって違うけど)慰安婦という他国の介入しているプロパガンダ、また特定の思想に偏った展示に対して税金で補助して良いのかって部分が批判の中心で一緒にできる話ではない。


結局フェミが難癖付けてきた数々は、実在しないキャラクターだし、現実の犯罪を誘発することを示せても居ない。フェミが不快だった以上の理由はなく、それが大多数であることも示せないから批判される。半裸の男優だとか下着のCMとか潜在的に不快と言われるものは沢山あってそれらも同じことが分かってないのが*にされる理由なんだよなぁ。


じゃあ、TVにも胸の大きな女性タレントやアナウンサーは出演させちゃいけないよね。


ツイフェミって奴は『殴り返してこない相手』に噛み付くんだから、野良犬よりも厄介なんだよな。それと、あいちトリエンナーレの件は国辱そのものなので宇崎ちゃんの件と同列に扱うのは筋違い。


声だけデカイ、なんの益も無いどころか害しかないクソフェミなんぞ無視すりゃいい。トリエンナーレは明らかに日本と日本人を貶める内容のものを公金を使って晒しやがったんだから全く別の問題。


「胸の大きな女性キャラクターのポスターを公共の場から排除してほしい」←激しく同意します! 自分も胸のでかいババアを見ると吐き気がしてました、なので今度から公の場では小学生以下に見えるような絵以外は排除すべきです! また絵だけでなく写真やTV出演者も小学生以下でなければならないと法律で厳しく取り締まってほしいです!


駅のホームに少しだけ張られてた男祭りのポスターは粘着されてはがされてたよな、女性下着広告やモザイクAV広告のほうが問題、あとコンビニで見かける臭いにおい漂わせたブラなしはみパン痴女、*は*エリアに行け間違っても小学生中学生未成年や住宅街での*営業は認められてない(日本人男性は韓国人女性と結婚させてあげますって男性自宅に凸ってくる*学会お前らのことだ)


心がブサイクな弱者女性のみっともない僻みだ、願わくばコイツらを反面教師にして次の世代の女性は心が美人であると良いんだがな。


胸が大きすぎてギネスになった女性が胸を切除したいと言ってたな、何でもあおむけに寝ることができないらしい(左右の胸が外側に引っ張られて谷間から避ける)■真相は胸が大きい女性に嫉妬してる中国女共だろwアニメや原神でも胸の大きい女性がいたら粘着してる上に仕様変更で胸が小さくされた件www■イケメン上半身裸はOKってのが中国女の思考、そのてのソシャゲがあるwwwww


作者が男性だからこれをやると一部から反感を買いそうだけど キャラクタ(宇崎)に「五月蝿い奴らって もしかして『この大きな胸に嫉妬』してるんすか?」とか言わせて煽りまくって欲しいw  話は変わるけど露出とかポーズが公共の場ではマズイのでは?と思う物を除けば みんな大好きな「表現の自由」ですよね♪って返せるよねw


ちゃんと服も来てるのに胸が大きいだけでダメって差別がすごいな


*にここまで執着してるのは*星人とフェミぐらいじゃね?


あと身長140cmくらいしかないAV女優に「お前みたいな奴は児ポを連想させるからAVに出るな」とも言ったな「言っちゃ悪いがそんなマニアックなAV女優を一体どこから見つけてくるんだ」とか「それってド直球の身体に関しての差別だぞ」って感じ


商業施設の共用通路という公共の場に下着モデルの写真が貼ってあることがあるけど、それには文句言わないよね。何で服着てるアニメポスターが駄目なの?胸の大きさが基準なら何センチ?良し悪しの基準を自ら示さず恣意的にターゲットを決めて営業妨害する奴等が公共性を語るのがおこがましいわ。


だからと言って真ん中をとって、「普通」なんて定めたらそれはそれで差別でしょうが。何が誰にとって大きいor小さい、少ないor多いは異なるのだから、多様性の否定になってしまう。表現の自由以前の問題。公共性を言うなら、その場の管理者のが権利的に強い。だから、不自由展で人権侵害や苦痛を感じる表現があっても許された。ルールと常識などに則って管理者が認めていたら許容範囲


特定の状態の人間しか認めないってのはまさしく選民思想じゃない?


で、この理屈だと埼玉県で起きた水着撮影会規制騒動は、規制派を厳しく非難しないと理屈に合わないわけですが、津田正太郎氏はきっちり批判されたんですかね?だんまりしていた様にお見受けしますけど。


「俺達は権力に立ち向かう弱者だからいいんだ。お前たちは権力を持った強者だからダメなんだ」が活動家の論理定期。あいつらは本気でこう考えてる


これ、2次元の絵相手だからイキって排除しようとしてるけど(表現の自由の侵害だから言語道断だけど)、実在の*の女性・大きすぎて悩んでる女性に面と向かって「あなたの胸はデカすぎるので街から出て行ってください」って言えるのかね。とんでもない差別では。


胸の大きな女キャラはダメで、グラビアアイドルがTVやポスターや広告に出てもダンマリなのはなぜ?教えてよ、フェミニストの皆さん


まぁ、「性の商品化」ではなく「性の買い叩き」の問題なのだろうなとは思ってる。なお宇崎ちゃんは煽りまくってた先輩についに分からされてしまい、割と賛否両論が出ていた模様。それが属性のディスカウントになるのか、そこまで含めて属性なのかは議論が待たれる所ではある。いいんじゃね?議論しようぜ。決定論を押し付ける事じゃない。


そんなんで排除なら美人イケメンも排除対処になるじゃん ほんと実害があるわけでまもないのに気にくわないものに喚き散らす*の相手なんざすんなよ


水着撮影会を禁止した共産党は俺の敵


公共等と言う概念から最もかけ離れた意見なんて無視して結構です、議論なんてかの人達には出来ないでしょうし


また津田正太郎かよ


*の定義なんて人それぞれなんだから具体的な値出して?


差別主義者か?


胸が大きな女性への人権侵害


多様性を声高に叫ぶ者程排他的で独善的な事が殆ど。そういう論者を見たらヤベー奴と思わずに居られない。要注意対象。


微塵も露出してないキャラクターが性を過度に強調するって何????胸のでかい女は卑猥だから公共の場にでてくんなってこと?差別ですか?


別に露骨な性描写をした訳でもない、単なる胸がデカいだけの漫画キャラに*ス感じてる感性の方が問題では? 思春期の*ガキかよ


差別じゃん


余計な言い方せんで「自分が気に入らない物を無くして欲しい」って言え


先ず前提条件として知ってほしいのは、これは個人の感想であるということです。引用も学説であって法律でも統計でもありません。


*に限らず、既婚者反対男児反対男反対なんか気に入らないから反対言ってるだけ。で擁護が難しいからお左翼様系の文はオルグされなければ読み難い回りくどいグダグダ理解に苦しむ文章になる。(オルグされれば結論が先にあるので読まなくても結論は分ってる)


公共性やら表現の自由やら掲げて批判する記者は、まず憲法におけるパブリックフォーラム論を勉強して欲しい。


じゃあ顔の良い男性(実写)のポスターは社会から排除しろって言ったら賛同するんですか?


絵に描かれた女性が全裸で*してるわけでもない、漫画の表現として胸がでかいというだけなのに排除して当然と思ってる社会は潔癖すぎて狂ってると思う。冷凍睡眠から覚めたジョンスパルタンになった気分でゲロ吐きそう。マジであと数年でデモリションマンみたいな世界になるだろこれ。


ナチスの退廃芸術政策かな?